普通の感覚

2~3週間ほど前だっただろうか。

息子と娘がテニスのレッスンをしていて、その日息子は荒れていて(よくあること)、

気に入らない現実と自分の自由になる想像の世界をリンクさせ、遠慮なく娘にその世界で今何が起こっているのか、つまり自分が今葛藤している状態を、また独特な表現をつかった言葉で、高いトーン、早いピッチ、早口症の症状そのままにぶつけた。

もちろん娘にとってはいい迷惑だ。

娘は兄のそういうところに随分慣れているし、そのへんの理解は親もびっくりするほどあるほうで、「お兄ちゃんはそういう脳タイプなんだからしょうがない」といつも「はいはい」と上手に聞き流している。

本当に聞き流しているらしく、まったく兄の語る内容など頭に入れていない。

プロである。

 

しかし、その日は娘も虫の居所がよくなかったのか、あまりにも兄の態度がひどかったからか、休憩時間、兄が近くにいないことを確かめて私に話しかけてきた。

「これはただの私のオピニオンなんだけど」

と前置きをした上で

「おにいちゃんってなんかおかしくない?だって、嫌なことがあるとすぐにパニックになって、大きな声出したり、手や足をドンドンしたり、よくわからないことずっと言ったりしててさ」

 

まったくもって娘の言う通りである。

普通の人のまともな意見を突きつけられた気がした。

 

私達家族は、自閉症児がいる家族として、とても恵まれていると思う。

早くに息子の自閉症に気づいてもらい、療育センターの先生方に細かくアドバイスをいただき、幼稚園でも息子を理解しようとしてくれる先生方に出会えた。

日本を出てからは、インターナショナルスクールの校風もあってか、「違っていることが良い」と言って、ありのままの息子をそのまま受け入れてもらっていた。

 

「おかしい」という娘の“意見”はあまりにもまっとうで、ドキっとした。

 

恵まれていても、現実を忘れてはいけないと思った。

 

日本に帰ったら、私達はこういう意見のなかで生きていかなくてはいけないのだ。

息子が悪いのでもなく、私達が悪いのではなく、日本の国民が悪いのではない。

ただ日本は「違うのが素晴らしい」という文化を持っていない。

「違うのは恥ずかしい」「みんなと同じことが同じようにできるのがいい」

ただ価値判断の基準が違うのだ。

 

娘の感覚は正直で、もちろん悪いものでもなくて、ただ素直な感想なんだと思う。

そういう感覚を娘が持っていること、それを私に“オピニオン“と前置きして話してくれたことに成長すら感じた。

特にファクトとオピニオンをきちんと分けて考えられることにとても驚かされた。

 

ファクトとオピニオン、混同した物言いが目についたここ最近だったので、子どもにその分別があることに一筋の希望も感じた出来事だった。