聴覚過敏

息子には聴覚過敏の症状がある。

多くの人には想像できないような過敏さで、日常生活にも支障がある。

 

日常生活に支障がある、ないかで障害かどうかを判断するならば、立派な障害だといえよう。

 

息子には聴覚過敏以外に、もっと根本的な”障害”があるのだが、今日はその聴覚過敏について。

 

現在息子は小学校高学年になり、苦手な音に対する反応は随分マイルドになってきた。

ただ音に対する対処法や、自分を抑える方法を身につけた成長があるだけで、音そのものに対する不快や不安の程度はそんなに変わってはいないのだろう。

しかし、対処法なり、自分をコントロールする術を身につけたことは大きく、本人も周りも楽になっている。

 

言葉の発達も遅かったので、何がそんなに息子を混乱させているのかわからなかった場面も多かった。

運動会のピストルの音や電車の開閉音や、打ち上げ花火の音なのはこちらが推測できるわかりやすい音なのだが、スシローに入った途端、特に大きな音や破裂音もないのに泣き叫び、席についたもののどうにもならず、飲食することなく抱きかかえて退店したことは忘れられない。

今本人に聞くと、「音が嫌だったんだよ」と言う。

今はその音が大丈夫なので、スシローで飲食することは可能だ。

 

過敏というくらいなので、前述のように日常生活に”問題”や”支障”があることが多いのだが、同時に息子には音楽を人一倍楽しむ能力と技術があるようにも思う。

 

4年ほどまえからピアノを習い始めた。

指先の力が弱いので、ピアノの鍵盤を押すのには苦労していたが、最初はリズム、そして右手と左手が作る音の響き、特に楽典での理論的な学習には目をキラキラさせた。

 

過敏さからか絶対音感も生まれつきあるようで、単音でも和音でも苦労なくコピーできる。

ゲームのお気に入りの効果音をすぐにキーボードで再現することを楽しむ。

気分によっては長調の曲を短調に変調させて弾いて気持ちを表現する。

 

テレビ番組の、私は全く気にも止めない、気づかないほど小さなBGMも、知っている曲だと喜び報告してくる。

そして記憶力も抜群なので、ゲームの音楽だったりすると、どのシリーズのどのステージの音楽なのかもすぐに記憶の引き出しから出せるようだ。

 

1年前にコロナ禍で帰国できずこちらで夏休みを過ごした際、子どもたちは暇つぶしにウクレレを習い始めたのだが、少しでも音がずれてるとすぐに気づく。

学校のピアノの音のズレにも一番に気づく。

 

本人にとってはその音のズレはものによっては耐え難いものもあるらしい。

 

過敏であることと特別な才能を持っていることは、紙一重だ。

場面や人の評価で、良いようにも悪いようにもなる。

 

多くの場合それらは生得的なものであるから、その感覚のせいで避けられない苦労があるぶん、その感覚があるからこその特別で楽しい経験を、その人生に与えてあげたい。