星野源さん
2020.7.18.
星野源さんの『よみがえる変態』を読み終えた。
前半は雑誌のエッセイの連載をまとめたもの。
始終クスっと笑えるところを散りばめつつ、演技や歌などの仕事に対する姿勢やポップカルチャーの紹介、とてつもなく忙しいであろう日々を、苦しいだろうにそれを絶妙なユーモアを挟みながら表現していて、またその言葉の選び方や文体がやっぱりとても素敵で大好きだ。
後半は、全体として1年にも及ぶ闘病の日々が綴られている。
読んでいても、壮絶だとわかる手術と耐え難い痛みに耐える日々の記述。
今、星野源さんが元気に活動しているからこうして安心して読み進められるのだが、主人公をうっかり自分や夫や子どもたちに置き換えてしまうとさあ大変。
喉のあたりをきゅーと締め付けられる独特な感覚を覚える。
その後の活躍で源さんを知りその魅力にハマった者として、本当に復活してくれてよかったし嬉しい。
源さんの歌や文章には何度励まされたかわからないから。
エッセイって小説とかと比べるとつい軽い位置に置いてしまうし、軽く読んでしまうのだけど、私は今、こうしてまた救われた気持ちになっているので、その影響力の大きさは小説以上なような気もしている。
もちろんエッセイの性質上、著者の存在そのものの影響力ありき、な部分がある。
入りから読者は著者とその人の書く文章に好意的な場合が多い。
それを差し引いても、このエッセイの源さんの言葉は素敵なんだけど(信者)。
そして、また私自身が”書く”というアウトプットをあまりにも日々疎かにしていることにも気づいてしまった。
今ブログも書いていないし、自分の書いたものを発信する場としては、フェイスブックとツイッターくらい。
ツイッターはほとんど情報を得るためにアカウントを持っているくらいで、何かを真面目に語るには文字数の壁が高い。
匿名性が高い分好き勝手に言えるが、身バレが怖いので、結局たまに当たり障りのないことをつぶやいて、またロム(なつかしい言葉)。
ではフェイスブックはというと、これはもう私というものが全面に出過ぎてて投稿のハードルがめっちゃ高い。
いい加減なこと書けない。
いろんな人の写真付きで一言二言の記事がニュースフィードを流れる中、長文の重めの文章だけの投稿があったらだいぶ異質で、なにかちょっと勘違いしてる人?みたいに思われるのも嫌だ。意識高い系?
そして何より、家族含め、少なくない友達リストにある人たちに自分の内側の想いを知られるのは非常にとてつもなく恥ずかしいと感じる。
でも何か残しておきたいとも常々思ってきたのも事実。
ただ私を直接知る人に知られたり、自分から周りに「読んで読んで」って宣伝なんてしたくない。
やっぱりそれはなんだかとっても恥ずかしいのだ。
ひっそりと新しいブログを開設したいな、なんて思ったりもしているんだけど、またそれも始めるとなるとハードルが高くて頓挫しそうなので、まずはそもそもの目的である”文章を書く”をしようと思う。
このコロナ禍、たまに来る不安の波に押しつぶされないためにも、文章を書く作業は有効だということを私は知っている。
やらない手はない、よね。
2021.7.20. 早速ブログ開設できた。思い立ったが吉日なのだ。