情が薄い

「情が薄い」というと、”悪”のように聞こえる。

 

特に日本をはじめ、アジアは情をめちゃくちゃ重んじる文化だし。

これをトピックに据える時点で私自身はそれを"悪”だなんて微塵にも思ってないわけだけど…。

 

もちろん、自分の、この明らかな立場を誰かに言ったりはしないし、むしろ"情に厚いです”かのような態度すらとったりもする。

それはもちろんその態度を文化として期待されていると感じるからである。

 

 

だが果たして、情に厚いとどのようないいことがあるのだろうか。

 

いや、それはね、たぶん。

人から”情に厚い人”というラベルを貰えるだけだと思うのですよ。

そしてそのラベルから実際的に負担相応の対価なんぞ期待できない実感があるんですよ。

 

例えば、”情に厚い人”というラベルと頂いたとして。

その人に対して人は何をするか。

…頼みごとでは・・・?

それも他の人が引き受けてくれなそうな厄介なやつ。

そして”情に厚い人”というラベルを全身に貼り付けられた私はすごくそれを断りづらい。

実際断ったとしても相応の他の仕事を引き受けることを引き合いにすら出してしまう、なんてことになりそうな気がしませんか?

 

 

本当に本当に心から、人の為に、という人が存在するのは存じております。

私にも知り合いにおります。

しかし、それはほんのほんの僅かなパーセンテージで、絶滅危惧種のように守られる価値があり、またアンチなどという人すら存在させない、もうユニコーンのような存在なんですよ(体感)。

 

 

”情”を理由に人の為に動ける、そんな人になれてたらどんなに素晴らしかったか、とはもちろん思うけど、残念ながらその他大勢のわたしは世間の”情”の価値に疑問を抱くのです。

 

 

”情”に価値を置いてる皆さん、本当に”情に厚い人”を尊敬して大切に扱っていますか?

都合の良い時に頼んだり頼る人にしてませんか?