ぼくはイエローでホワイトで、ちょっと

ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだ。

夫が先に読んで、面白いと勧めてくれたのだ。

ちょうど1巻がkindle unlimitedだったらしい。

 

イギリスの庶民階級の日常から、人種や貧富の差、社会問題、学校問題、とりわけ、息子さんを通して語られる学校事情、そしてそこで起こる問題への息子さん、そしてブレイディさんの見方や対処法はとても興味深い。

平たく言って、子育てする上で勉強になるのだ。

 

こちらも日本ではない国で、インターナショナルスクールに通っているので、いろいろな国の、人種の、文化の、宗教の、そんな中にまみれて生活している。

日本に住んでいるときより、ずっと多様なカテゴリーに属する人達に囲まれて。

ただ本当にいろいろな人達がいて、それぞれがマイノリティな側面があるので、誰もがマイノリティの気持ちがわかる。

だから必然的に互いの立場に立つ(他人の靴を履く)ことができる人が多いように感じる。

「違って良いんだ」「違うから素晴らしいのだ」というメッセージを、先生たちも生活を通じて発信し続けてくれる。

 

均一な人たちの集まりは確かに楽だ。

息子さんの「多様性は楽じゃないのにどうしていいのか?」というもっともな疑問に対してのブレイディさんの言葉はしばらくは忘れられないだろう。

「多様性はうんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」

この言葉には実感を込めてYESで、ちゃんとこう言葉になって表されて、この言葉が子どもに届いているということに感動する。

 

私も、こうやって言葉で説明できる母ちゃんになりたい。

 

ブレイディさんの息子さんはまたよくできたお子さんで、ウチの息子と同じ(当時)11歳とは思えない。

女の子だったらこうやって一歩引いた見方をしてても納得だが、知る限り息子の周りの11歳の男の子にこんな子はいないはず。

 

それもイギリスという国に生まれたから、両親の人種も国籍も違うから、なんだろうか。

 

うちの子たちも、貴重な経験をさせてもらっていると思う。

日本にいたら"無知”であったことを知る機会に恵まれ、友人の国の文化や、無邪気に宗教の話をしていることに驚く。

この本にも述べられているように、子どもにタブーはなく、大人よりずっと違いを受け入れる能力があるのだ。

 

違い、この本で述べられている違い。

それは人種、国籍、貧富、社会階級だが、私には”発達障害”と診断された息子がいるので、その違いについて実感を持っていろいろ考えさせられてきた。

日本では国籍、人種の違いを日常的にほとんどの人が感じることはなく、そこまで貧富の差もない。

とすると、"発達障害"というラベルがとんでもない違いになる。

そして多様性に慣れていない日本人は、多様性に敏感だ。

しかも反射的に嫌悪感を覚える人も多い。

私もその一人だった(希望的に過去形)ので、これはもう日本に生まれて日本に育ったからには仕方のないことなのかも知れないが、息子を持ったことでその”無知”からは抜け出すことができたように思う。

 

なんとなく、人に"優しく"なれた、ような気はするのだ。

 

"発達障害"が悪いことなのか聞いてきた息子は、どうしてそう思ったのか、考えたのかはわからない。

記憶力が抜群にいい息子なので、5歳まで日本にいて、日本の幼稚園に通って、少なからず様々な見方をされ、対応してきた私の姿を覚えているのかもしれない。

そのとき息子には伝えたのだが、もちろん発達障害は悪いことじゃない。

ただし、マイノリティである。

世の中は概してマジョリティ仕様になっているので、マイノリティには不便な事が多々ある。

問題となるのはその一点で、それにはひとつひとつ対処法を身につけるという方法でやっていける。

「だから私はあなたにひとつひとつ教えるよ、将来ひとりで生きていけるように」

 

違いをただの違いとして認めてくれて、楽しく学校生活が送れている今の状況は奇跡だ。

日本にいたら考えられなかった。

それは先生たちが口を酸っぱく「違っていていい」「違いは素晴らしい」と子どもたちに言い続けてくれている、ただその一点にあると思う。

 

息子の周りの子どもたちにとっても、息子が”違う”いい例になってくれたらいい。

 

息子なら、何て入れるかな。

ぼくはイエローで、_______