ゴールがあること
勉強を始めた。
今までも勉強は日常的にしていて、特に語学は継続あるのみだと思っているので年単位で3つの言語に取り組んでいる。
英語、スペイン語、中国語。
中国語はこのコロナ禍で対面でお願いしていた先生と会えなくなったので、一旦休止中だが、できたら再開したいと思っている。
(と思うと、やはりオンラインは最強だ)
いつも前を見て新しい学びを追求している友人に刺激されて、ゴールのある学びをしたくなったので、海外でも受講可能なコースを見つけて挑戦することにした。
”ゴールのある”学びは、いい意味でも悪い意味でも刺激があって良い。
本来の意味の学び自体に終わりはないし、その意味でゴールがなくても勉強し続けられる自分の性格は有り難いのだけど、やはりたまにはゴールを見据える学びも恋しくなってくる。
そう、学生時代のような。
学生時代の学びのゴールは至ってわかりやすく、試験だったり論文だったり、形は変わるが、自分の学びの成果が評価となって返ってくるものだった。
また大学になれば、容赦なく不可も返ってくるので、それはそれでスリリングだった。(可か不可かの勝負をしたことはないけれども)
もちろん試験前、論文提出前の精神状態は穏やかではなかったし、常に焦燥感や不安を胸に飼っているような気分だった。
が、そのおかげで必死になって学べたし、効率よく学べたとも思う。
他者に決められたデッドラインというのは大事で、否が応でも迫ってくるのが良い、逃れられないのが良い。
本当は挑戦したかった試験があり、2年前に自分でそれに取り組んでいたのだが、この状況で一時帰国が叶わなくなりそのゴールが宙に浮いたままだったのが、きっと私は居心地が悪かったのだと思う。
どうしても何かゴールがあることに取り組みたくなった。
もちろんそのゴールを達成したからといってその分野の勉強を終えることはないけれど、なにか達成したことを形に残したくなったのだ。
と思うと、これは純粋な学習意欲からというよりは自己顕示欲からくるものなのかと考えてしまうけど。
なんとなく印象の良さが削がれるけど、そもそも自己顕示欲からくる学びのなにか悪いのかって話だ。
今回の私のゴールは少なくとも半年以上先になる。
自分のペースで進められるコースなのだが、カリキュラム上半年以上、きっと1年ほどで完了するだろう。
ゴールがある毎日を送るようになって1ヶ月ほど。
張り合いがあっていい。