ネガティブバイアス
なんだか今日はうまくいかなかった。
といっても、うまくいかなかったと思った出来事は一つだけで、その他は別に問題はなく、なんなら”いいこと”として数えられることのほうが数は断然多い。
夫がこどもたちの勉強をみてくれたこと、行きたかったパン屋さんに家族で行けたこと、お昼に買ったパニーニがおいしかったこと、ミックスベリーのケーキとコーヒーのおやつが贅沢感をくれたこと、娘が友達に遊びに誘われて楽しい時間を過ごしたらしいこと。
最近小さな幸せ探しがとても上手になったので、「なんだかな~」という気分になってしまったときは、その日の自分の幸せを数える。
そして自分の生活にたくさんの幸せがあることに安心する。
ここ1~2年で、ポジティブ心理学だったり、レジリエンスだったり、つまりそういう類の本をたくさん読んだのだが、それによく書いてあった”ネガティブバイアス”というのを今日改めて考えている。
ネガティブバイアスというのは、簡単に言うと、いいことより悪いことのほうが印象に残るという脳の性質のことで、それはそもそも我々の祖先の生活に由来している。
祖先といっても、爺さん曾祖父さんレベルではなく、かなり遡った祖先だ。
狩りをして生活したような石器時代をイメージしてほしい。
そこで、人間は生き延びるためにネガティブバイアスを脳に組み込まれた。
もちろん意識的なものではなかったので、組み込まれたというほうが正しいだろう。
石器時代、自分の周囲の環境に対して最悪の状態を想定して生活することが必要だった。
もし、食べ物が得られなったときに備えたり、腹をくださないような食べ物を得たり、敵からの襲撃を避けたり、そうしなければ生き延びられなかった世界では、今まで経験した悪いことを脳に溜め、その状況をハイライトし反芻し、その状況や対策などをたてなければ生き延びられない。
わずかな違和感に気づき、それを悪い方向に捉えて警戒しなければ、もしそれが起こったときに死に直面するような、危機的なことだ。
だから、人は悪いことに敏感に、そしてそれを印象強く脳に残す必要があった。
現代ではもはやその必要がないにも関わらず、その脳の性質は私達に受け継がれている。
なんて厄介な・・・。
もしこのネガティブバイアスが消滅したら、ネガティブなこともボジティブなことも等価に受け止める脳に”進化”したら、鬱も自殺も劇的に減るんじゃないか?
その進化はすぐには望めなくとも、こういったバイアスの存在を知ることで、この脳の性質に対する心構えができるようになり、私のように対策をたてられることはできる。
知っているか知らないかは大きな違いだ。
たとえ知っていて対策を講じても、今回のようにすっきりまではいかなくとも多少なりともショックに対してクッションを入れるようになれれば、だいぶ生きやすくなる。
ネガティブバイアスの存在はもっと世間に正しく知られるべきだ。