”NO”と言えない日本人

言いにくいこと、例えば、何かをやめてほしい、などを人に伝えるのは気が重い。

何かをやってほしい、というほうがずっと楽だ。

 

私は日本人の気質で好きではないことが多いのだが、私は日本に生まれ日本で育ったれっきとした日本人なので、その文化が否が応でも染み付いている。

そしてまた割と古いタイプの家に生まれたので、そういう暗黙の決まりを読むことを期待され、しつけられた。

なので、無意識にその感覚が働く。

 

よく、”NO”と言えない日本人、というフレーズを聞くが(いや、昨今めっきり聞かなくなったか)、私もこの意味で典型的な日本人なんだな、と思い知らされている。

 

大人だけでなく、子どもにも、なかなか言いにくい。

もちろん我が子にはがっつり言えるが、人の子には難しい。

極めて言いづらい。

 

どんなにイラッときても、ムカッときても、大人として、人として一旦こらえるようにはしていて、さて、冷静になって大人らしくうまい言い方で伝えようといろいろな言葉を経験から引っ張ってくるのだが、どれも上辺っぽい言い訳のように聞こえてしまう。

”NO"ということで、相手の気持ちを害することを恐れていることに気づく。

どんなに言葉を尽くしたところで、趣意が”NO"であることに変わりないのだ。

 

言い方というものがある。

同じことを言うのにも、言い方次第で相手への印象、これからの関係はだいぶ変わってくる。

大人なら当然それを考慮に入れるべきだ。

 

というところを考えて、これも日本人的な考え方なんだろうかと首をかしげる

まったくそういうのを考えてなさそうな、ストレス耐性の高そうな欧米の友人たち数人の顔が頭をかすめる。

「日本人って大変そうね」という囁きが聞こえる。

 

もう本当に日本人らしく”NO”と言うのを諦めたくなってくるが、いやいや、伝えないとこの状態に終わりがなく、こちらのストレスがどんどん蓄積されるだけでいいことないぞ、言わなければ言わないだけ、言いたいときに言いにくくなるぞ、と自分を鼓舞する声も頭の両側から聞こえる。

自分を励ますこの声は大きく、もともと我慢が効かない私の性格は私が一番知っているので、遅かれ早かれ、どんな言い方をするにせよ、言う事自体は自明なのだ。

 

夫への不満とか何年も溜め込んでいる人の気持ちは、私は一切わからない。

これに関しては、ちゃんと聞いてくれる我が夫に最大の感謝をしている。

 

相手とのやり取りを頭の中で何度もシュミレーションして、相手を傷つけない、というか、うまくやり込められる最善の言い方を模索する。

さながらシナリオを書いている脚本家のようだ。

 

”NO”と言わないことで被る不利益を思えば、”NO"と言うことで開放される煩わしさのほうがだいぶ大きい。

全部を手に入れようなんてもうこの歳になって思っていないので、せめて相手の傷を小さく、関係のギクシャクも最小限にできれば万々歳だ。

 

ブチっと切れるとそういうのも考えず、なんなら相手との関係を切ろうと思ってわざとそういう言葉を選ぶのだが、今回はそんな問題でも段階でもなく、今後の関係は円滑にやっていきたいのでタイミングと言葉をちゃんと選ぼう。