規制強化に想う

また新たな規制が発表された。

今回のは、全体的にまた一段階厳しくなっている。

 

コロナ優秀国といわれていたこの国も、変異株の前にガタガタと崩れ落ちそうになっている。

それでも必死に食い止めようとしているところに好感が持てる、と今はっきり言えるのは、生まれ育った国の状況が(上の体制と政策が)あまりに稚拙だからではないだろうか。

毎日携帯ニュースを見ては愕然とする。

 

新たな規制が出るたびに、すでにたてていた予定の調整に追われる。

規制が厳しくなるということは、主に予定していたことのキャンセルなのだが、もう一切ダメだとローカル政府の交付文書に書かれているものはわかりやすくていい。

ジム、マッサージ、プールなど閉めます、禁止です。

非常にわかりやすい。

市省間の行き来には48時間以内のPCR検査の陰性証明書が必要です。まぁこれもわかりやすい。いざというときは用意するしかない。

 

ではこれはどうだろう。

20人以上の集まりは禁止です。

20人以上の集まりはダメなんだな、と文字通りに読んだあと、では20人以下ならいいのか。ということは・・・予定していたものは20人以下だからセーフ!

 

という解釈は確かに間違っていないし違反でもないだろう。

ただなぜこんなにもモヤモヤ不安定で不安な気持ちになるのだろうか。

 

最近気づいたのは、やはり私は(あえて”人間は”という言い方は避ける)周りの目や意見が気になるし、悪く言われたくない気持ちが常にあるのだな、ということ。

 

30歳過ぎ、35歳過ぎ、もうだいぶ生きやすくなった自覚はあるのだけど、緊急事態となると本性がでてしまう。

周りの受け取り方と自分の受け取り方が違うような気がすると、一気に不安になる。

特に周りに慎重派が多いこともそう感じる大きな要因のひとつだ。

 

私が「これは規制内で行えることだからOK」という判断をしたことに、「最近の情勢を考えて控えておきます~」的なことを言われると、すぐに自分の意見に大きな疑問を持ってしまう。

 

あれ?これアウト?これしたら周りは引く?

後ろ指さされる?

 

今回のこの状況は特殊でいつもどおりの反応ができないのだけど、これだけの緊急事態だからこそこの反応が自分の本質なのかもしれないとも感じる。

万が一があれば、健康や生活、特にここでは人権までも簡単に脅かされる。

慎重になりすぎて悪いことはないだろう。

 

だからこそ常に、最大限に、慎重に慎重をきして何かを決定するべき・・・???

 

あらゆるものに対する人々の見方や決定は本当に様々で、私自身理解不能なものも多い。

個々の性格も大いにあるだろうが、私調べでは国民性というのも大きく関与してる。

 

前例のない事態だからこそ、何が正解で何が不正解というものでもないだろう。

それがまた判断を難しくしている。

 

実際、同じ規制のなかで、規制が出た直後と1週間後では全体的な意識も違う。

なんなら2~3日後でも違う。

やはり新たな規制がでた直後は、人々はピリピリし、規制以上に何もかもに距離を取り、接触という接触を避けようとする。

しかし、その状態に慣れ、その後新たに事態の悪化が身近にないと(次第に、そして途端に)その規制に無頓着になる。

私に「やめたほうがいいよ」と言っていた言葉が、「大丈夫だよ、やっちゃえやっちゃえ」になったりする。

それがまた同じ人だったりするからびっくりだ。

 

私は今、ニュートラルな精神状態を保つことに必死だ。

ブレない精神というのはいくつになったら身につくのだろう。

誰に何を言われてもブレない。気にしない。

10代、20代の頃に比べればだいぶマシにはなっているが、その境地の端っこでさえ今は全く見えていない。